健全な野心を持っていますか?「野心のすすめ」

野心という言葉から、何をイメージしますか?
夢のためなら何でもする。人の足を引っ張ってでもという、ネガティブな感じでしょうか。ギラギラしたイメージとも言えます。

それもそのはず。
中国の史書「春秋左氏伝」に「諺に曰く、狼子は野心と。」記されていることから、狼の子を人が飼っても、慣れるどころか野性を忘れずに飼い主を害するような漢語。人に置きかえみると、他人を害そうとしたり謀叛を企て分不相応な良くない望みのことだと言います。
望みの善悪はさておき、思わず危機回避するように無意識に身構えてしまうのかもしれません。

自ら漕ぐ力があることに気づかせてくれる一冊「野心のすすめ (講談社現代新書)」です。

作家、林真理子氏の半生を綴ったエッセイというか林的人生論本です。
バブル時代の印象が強いのかもしれませんが、子供の頃から就職活動や作家になるまでの人生階段。それは、煌びやかな螺旋階段ではなく、情緒ある石畳の階段から山道に突如現れる階段など、様々な階段を一歩一歩踏みしめ歩まれてこられたことがわかります。

余談ですが、メディアに流れるバブル期のイメージのジュリアナ東京。実はバブル後です。あのパワーはどこから沸いていたのか不思議に思います。
時代背景として、フィットネスクラブはバブル時の好景気に登場し、今では考えられないほど入会金は高額。通えることはステイタスだと言われていました。
エアロビクスも全盛期となれば、音楽を聴きながら身体を動かすことに抵抗がない時代。しかも、ディスコやクラブでは飲食が出来てお洒落をして踊ることや、出会いもある。ナンパ目的な人もいたと思いますが、音楽を楽しんだり、異業種の人と出会う社交場だったと言えます。インターネットが主流となるにはもう少し先の話ですが、リアルが軸になっていた時代です。

■野心は何か?

負け続けると感じるのは、比較する「対象」があって自分との「対照」が際立つ思いがあります。相手に向けられた眼差しが羨望でなく嫉妬だとしたら、粗探しをしたり攻撃を仕掛け、奪い取る行動をするのではないでしょうか。

自分ではたいした努力もせずに「うまくやろう」っていう人は、誰かに取り入ろうとすることばかり考えている。
健全な野心とは程遠い、ダメな野心とはそういうことです。

第一章「野心が足りない」より

競争という場面では、ライバルを感じることになります。
相手がどう思うかは別問題として自分の壁だと感じていたり、気づかせてくれるような思いを視覚化した対象として見ることができます。少しでも対象に近づけるよう思考や、行動を真似してみたり何かを得ようとしますが、奪い取るようなことはしません。
相手の賞賛すべき点を知っていたり、尊敬しているからです。

人の感情は揺れ動きやすく流動的だからこそ、自分の感情をコントロールすることが大切。
では、コントロール以前に自分の本音は何でしょうか?
何かを突き詰めた後は、心の舵を自分でしっかりと握ることです。

野心が車の「前輪」だとすると、努力は「後輪」です。
前輪と後輪のどちらかだけでは車は進んで行けません。野心と努力、両方のバランスがうまく取れて進んでいるときこそ、健全な野心といえるのです。

第一章「野心が足りない」より

野心の由来からイメージ良くありませんが、野性的な本性。自分の本音を掴んでみることで、心から望む方向がみえてくるのではないでしょうか。方向へ進めようと、努力というオールで舟を漕ぎだすチャンスとして捉えたことは行動にも飛躍していきます。

ギラギラした感よりもキラキラ感。
瞳をはじめ表情に、雰囲気として相手に伝わります。ギの濁点を取るように、考え込み過ぎず抱え込み過ぎず、心をシンプルにしてみることもおすすめします。

■野心と結婚

健全な野心は、原動力の一つです。
本気で取り組んでいる人は、必ず見られています。背中を押してくれるような出会いもあることでしょう。

成功したい、モテたいと、欲望を叶えるために必死にもがき続けていることを不幸と呼べば、たしかに不幸かもしれません。仕事でも挑戦すればするほど、あれこれ苦労したり落胆したりすることも増えますし、高望みの相手と付き合うほど、傷つく可能性だって高い。しかし、そんな「走っている不幸」は、本人は辛くても、端から見ていて明るい爽快感があります。きっと、どうにかなるよ、と肩を叩き、励ましたくなってくる。

第五章「野心の幸福論」より

「何をすればより良くなるのか」前を向いて考えている人と出会うと、これまで聞き取れていなかったアドバイスなりヒントを受け取れるようになります。
走りながらやってみた体験は心の血や肉、自分が持っている宝を磨き上げていることと同じなのではないでしょうか。

年齢を重ねていくと、野心の飼いならし方もだんだんわかってきます。他人のことは気にならなくなってくる。ひたすら自分の中に向かってくるんです。もっと良い仕事をしたいということだけになり、野心が研ぎ澄まされていくわけですが、自分との戦いほど辛いことはない。しかし、若いうちから野心を持って訓練していれば、その辛さに立ち向かえる強さも鍛えられるはずです。
そして、挑戦してたとえ失敗したとしても、世の中はほどほどの不幸とほどほどの幸福で成り立っていると達観する知恵者の域にまで達することができれば、もはやそれは「不幸」ではない。野心の達人が至る境地といってもいいでしょう。

第五章「野心の幸福論」より

特に結婚となれば相手と向き合うことと、自分と向き合うことがセットになっています。勢いで結婚することは悪いことではなく二人の流れもありますから、それに越したことはないです。しかし、年齢を重ねると様々なことを思い浮かべて一歩が遅くなり、躊躇してしまう。
もしかしたらよきご縁として育んでいけるのに、自ら遠のかせる。他人との距離が近くなることで本質に触れたくない、触れてほしくないといった心に蓋を開けてしまうのが怖く、不安なのでしょう。家族に、友達にも、同僚にも見せたことのない顔。

カッコ悪さや性格の悪い部分、弱さ等の壁は誰にでもあります。
屈辱感が野心に変わるように自分を素直に認めてみることで、相手の長所も短所も含めて関係を育んでいける力。「お互い様」と感じられるようになれる力にもなり得ます。

婚活では出会うことのない人たちと出会い、様々な価値観に触れ磨き上げられたこと。婚活中に自分の中へ向かって行った時、後の結婚生活においてパワーの源になる一つの宝です。

健全な野心に着火してくれる「林真理子語録」は、自分を震え起たせる原動力になるのではと思います。




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