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震災からの一年。何を思い、感じていますか?

現在も、三陸沖や千葉県沖等で地震が続いています。
東日本大震災の地震発生当時、首都圏では帰宅困難になり交通網もマヒ状態、計画停電が行われました。2012年早々には再び大きな地震が起こりました。

大きな被害にならないように正確な情報を把握しつつ、いざという時に身動きできるように心がけておくことも忘れずに過ごしたいものです。

報道では復興に前向きな声も届いていますが、ある一部分にすぎないような気がしてなりません。輝く前向きな光と、報道ではあえて見せてこないことなのかはわかりませんが、私なりに感じたことを綴ることにしました。
現地の画像が含まれていることから、震災を思い出して辛く感じられてしまうかたは、このページは読み飛ばしてください。ここで意識しよう等と、無理に気負わなくてもいいし、思い出してしまうことは仕方のないことです。いつの日か少しでも前へ向かえる気持ちになれた時にでも、ご覧いただけましたら幸いです。

日本は、海に囲まれている島国です。
宮城県を訪れた時は、豊かな恵みを私たちにもたらせてくれる穏やかな海でした。

宮城県の海です。

何もなかったかのように水面は太陽に照らされて輝いていましたが、被災された方々にとって、どのような気持ちで1年を過ごされていたのかを思うと胸が痛みます。

岩手県から宮城県にかけて南北180kmに及ぶ陸中海岸国立公園は、東日本大震災により全域において甚大な被害を受け、震災後には青森県から三陸復興国立公園(仮称)」として再編成する方針となりました。

岩手県から宮城県にかけて南北180kmに及ぶ陸中海岸国立公園は、東日本大震災により全域において甚大な被害を受けました。

気仙沼湾に浮かぶ気仙沼大島も、陸中海岸国立公園の一つです。
標高235mの亀山からは、島の地形を知ることができます。

気仙沼大島は、陸中海岸国立公園の一つです。

画像の左が太平洋側、右が気仙沼湾側です。
左手前「田中浜」から島の玄関口「浦の浜港」へ。左手奥は「小田の浜」から「浅根」へと津波が横断し、気仙沼大島が3つに分断されてしまいました。

さらに、津波で石油コンビナートが被害を受け、漁船用燃料タンクや漂流物の火災で気仙沼港は火の海となり、亀山へと燃え移ります。数日の懸命な消火活動で、何とか火を消し止めることができたとのことです。

東日本大震災での津波で石油コンビナートが被害を受け、漁船用燃料タンクや漂流物の火災で気仙沼港は火の海に。亀山へと燃え移り数日、懸命な消火活動をされたとのことです。

冬なので木々が枯れているわけではなく、焦げている木々から火が近くまで迫っていたことがわかります。

海岸方面に、リボンがついた印がいくつもありました。これは、津波の到着目印ではなく、松くい虫等の手入れをする印としてつけられたものとのことです。

リボンがついた印がありましたが、これは津波の到着ではなく、松くい虫等の手入れをする印だということです。

海岸にある松は無造作のようにみえますが、津波や飛砂、塩害から海岸林は人々の生活を守っています。

余談ですが某日、さいたま市大宮公園で、の手入れをしているところに遭遇しました。

身近な公園にも、松の手入れをしている場面をみることができます。

自然を保護するだけではなく、自然を育むことも大切ですね。

では話を、戻しましょう。
気仙沼大島の民話「みちびき地蔵」で知られている田中浜には、津波の大きな爪痕が残っていました。

民話「みちびき地蔵」で知られている田中浜にも、津波の大きな爪痕が残っていました。

気仙沼湾周辺にみえる瓦礫の山に、被害の大きさを感じ圧倒されます。

気仙沼湾周辺にみえる瓦礫の山に、被害の大きさを感じ圧倒されます。

金属、プラスチック等の様々な種類が混在しているので、分別しなければならなりません。震災から1年経過していますが、様々な場所がこのような山々がみられました。

気仙沼市内から国道45号線を少し南下した、波路上地区です。

気仙沼の波路上地区にある気仙沼向洋高校の校舎を、津波は突き抜けていきました。

気仙沼向洋高校の校舎を、津波は突き抜けていきました。
どれほどの威力だったのか、想像もつきません。言葉を発することも、これ以上津波の現場にカメラを向けることができませんでした。現地の方々は、震災後もこの景色を見続けていらっしゃいます。あの辛さや苦しさを思い浮かべないわけがない。現実を直視し切り開いていこうとする人、あの日から時間が止まってしまった人と心の状態は個々なのだと。様々な感情と葛藤が私の中に、渦巻いていました。

近くにある岩井崎の松林は防風林の役割を果たし傾いていたりしていますが、津波にも耐えた第9代横綱・秀ノ山雷五郎像が堂々と立っています。

岩井崎には、津波にも耐えた第9代横綱・秀ノ山雷五郎像が堂々と立っています。

太平洋の海に向かって津波には負けない力強さを物語っているかのようです。

岩井崎に、勢いよく岩間から噴出している「潮吹き岩」も健在でした。

勢いよく岩間から噴出している「潮吹き岩」も健在でした。

横綱だけではなく、枝を流された松は形を変えて私たちの前に姿を現してくれました。

東日本大震災後に岩井崎に現れた「昇り龍」です。気仙沼の復興を、東日本大震災の復興を見守ってくださいますように。

震災後に岩井崎に現れた「昇り龍」です。
気仙沼の復興を、東日本大震災の復興を見守ってくださいますように、心から願わずにはいられません。

さらに国道45線を南下すると、南三陸町、石巻と被害の凄まじさを感じます。
途中、地元の商店に立ち寄りました。
「ここのものはね、全部美味しいのよ。」
「魚は美味しいのよね。」
「刻んで、少しお醤油をかけて」
「ボランティアには関東の人も多く来てくれたんだよね。」など、店主と常連のかたと他愛無い会話からは自然と笑みがこぼれ、地物の美味しい恵みはもちろんのこと、地元を愛し、三陸への誇りや思いが伝わってきました。

話が前後してしまいますが、仮設住宅に縁台がありました。

仮設住宅へ届けられた、つくば市のボランティア団体の手作りの素敵な縁台です。

仮設住宅に届けられているつくば市のボランティア団体の手作り、素敵な縁台です。寒さ厳しい東北に、遅い春が訪れます。縁台に腰かけて笑顔の花が咲きますように。

目に見えて直ちに復興という形には程遠いのかもしれませんが、自分に何ができるのかは、まずは小さなことからでも。
時間に制約があるならイベントに参加をしてみたり寄付等、支援する形は色々あります。
GWや連休を利用した復旧・復興ボランティアツアー。1年経た現状を知ってもらおうと、被災されたかたがガイド役の被災地ツアーも企画されています。出会ったかたとの談笑も、心の交流です。

被災地へ足を運ばれたら、見て感じたことを伝え続けることは震災を風化させないことにつながるのではないでしょうか。

私は忘れません。




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